※ツイッターで見かけた話題についてボソっと吐き出しているだけです。
※画像はつよつよそうな肉(サイト内のフリー素材)(つよつよお肉食べたい)(関係無さ過ぎ)
ツイッターで話題になっていた「よわよわ絵師(=拡散力・画力・発信力が弱い絵師)の作ったタグがつよつよ絵師(=専業プロ・万フォロワー持ち)に蹂躙されている!」という話を聞いて。
確かに明らかなプロ絵師や上手い人が「私、よわよわ絵師ですので~」ってタグ使ったら嫌味になるよなぁと思ったのですが、火元のタグを見たら
「#過去作で自分が最高だと思う絵を1枚載せて5rtを目指せ」
だったんですよね。
どこにも「つよつよ」とか「よわよわ」の表記が無い。
話題を拡散したアカウントが「つよつよ」「よわよわ」という表記をしていたので「#よわよわ絵師が過去作で自分が最高だと思う絵を1枚載せて5rtを目指す」だと思っていたんですが、(ちょっと前に「将来の神絵師が云々」というタグが流行ったのもあったため)違っていたんだな…
「過去作で自分が最高だと思う絵を1枚載せて5rtを目指す」だと確かに誰でも参加してOKなように見えるタグに感じる。
「5RT目指すって言ってる時点でつよつよ絵師が使うもんじゃないとわかるだろ」という意見も多く、確かに…とも思うのですが、多分この場合「5RTを目指す」は重要ではなく、「過去作で自分が最高だと思う絵を1枚載せる」ことが目的だから(自アゲやセルフRTをしないで過去絵を見て貰える)、自分が「つよつよ」であるか「よわよわ」であるかという判断はしてない人が多いんじゃないかな。
もし「#よわよわ絵師が過去作で自分が最高だと思う絵を1枚載せて5rtを目指す」だったら「つよつよ絵師」にカテゴライズされている人たちはさすがに参加しなかったんじゃないかな?と思う。
この微妙な「お前空気読めよ」的な揉め事がタグで起きるってなかなか皮肉ですね。
ツイッターのハッシュタグは使う側は見つけてもらいやすく・見る側が見つけやすくする相互関係で成り立っている目印機能が元ですが、つよつよにしろよわよわにしろ「自分の作品を見てもらいたい」という気持ちは同じなのに揉めるとは。
何にせよツイッターのタグをピクシブのタグと同じような「住み分け」として使うのは意外と難しいことなのかもしれないと思いました。
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