同カプ解釈違い

同カプ解釈違いがツイッターで話題になってますね。
↓該当ツイート


同人女の感情さん、さすが。

「この話題リープ何回目ですかってくらい繰り返されその度に同じようなお気持ち表明やアンケートが出回る」という話題がツイッターに存在していて、
そういう話題の一つがこの「同カプ解釈違い」なんだなぁ。

メモとして残してまた数ヶ月か数年後同じ話題が火種になったら読み返してみようと思います。

同カプ解釈違いの話が出ると

「こんな解釈違いがキツい!」(話題に乗って己の嫌いを暴露系)

「全年齢の場合同カプの解釈違いと逆カプの解釈一致、どちらを読む?」(究極の選択系)(尚、逆カプの時点で解釈不一致という反駁で一波乱起きる)

「解釈で選べるだけ潤ってるなんて贅沢な…」(マイナーカプの慟哭系) 

「解釈違い以前にそもそも原作にない関係性創作してる時点で同じ穴の狢だろ」(前提疑問提唱系)

「二次創作するなら原作になるべく忠実に、と、二次創作してる時点で原作にはない創作をしてるので全て同じ、は交わらない」(前提疑問提唱に関して再整理系)

などが一気に噴出するんだけど、温泉とか火山の噴出口がいきなりプシューーッッ!なる現象と似てるのかもしれない。

自分は「二次創作している時点で皆同じ」前提なのでカプでは解釈違いというより好みの違いと認識してることが多いかもしれないです。
解釈違いだ、と感じるのはキャラ単体での方が多いかもしれない。

例えば、文ストで好きなカプは織太(織田作之助×太宰治)ですが、ラブラブも殺伐も淡々もエロになるならないも全て「好き」と思います。

でも太宰というキャラ単体について「太宰は獣軸で自殺したい願望を叶えられたから幸せである」というのを目の当たりにした時「いやそれは違うだろ」(私は獣軸の太宰については心残りがあり、本編軸でも死にたいと生きたいがほぼ同量のキャラと思っているため)と思いました。

カプの解釈とキャラの解釈が別なんですよね多分。

なんでもありなカプとしてキャラを見ればキャラも何でもあり!になるけど、カプというフィルター掛けずにキャラを見るとなると解釈の違いを感じる。
「いや、キャラを解釈していったらそのカプにしかならないんだってば!!」と左右相手完全固定の人からはキレられるかもですが、そこはそれ。創作した側の意識であり、私という読み手の意識とは関係がないので。

こうやってブログで1人ひっそりこねくり回してみても二次創作における解釈違いってなんなんだ??好みの違いとの差異は??となってくるのでSNSに渦巻く「解釈違い」のモヤモヤが晴れることはないのだろうなぁ。

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