【感想】ゴジラ -1.0(映画)

見てきました。

ゴジラ映画をちゃんと見るのはシン・ゴジラ以来です(そういう人多いんだろうな…と密かに思ってます)

シンゴジとは全く違う、というか真逆を意識して制作されたのかな?と思うくらい真逆で個人的にはいろいろな意味でとてもおもしろかったです。


時代は第二次世界大戦終戦2年後。ちょっと復興してきた…希望が見えてきた…と思った矢先にゴジラが出現!東京はまためちゃくちゃに…。どうする日本人!?といった内容。


シンゴジラが「天災」なら今回のゴジラは「戦争」の具現であるというのがなるほどなーと思いました。

ゴジラはシリーズが長い分いろいろな解釈付与が可能になってるんですね。


マイゴジ(って略し方なんか可愛い)は海からバーーーン!!と登場してめちゃくちゃドッシンドッシン歩くし人を食べはしないけど明らかに殺意をもって襲ってくる。狙ってガップリ噛んでくる。

序盤登場時はまだ小さめなのもあってジュラシックパーク感すごい。デッカ!こっわ!

海で戦う場面が多いので若干サメ映画っぽいのもおもしろい。背びれが見えてからの海からバーーン!現れて戦艦を一噛みで沈めてくるのとか、主人公たちの乗る木造船との追いかけっこでクワっと口開けて海の中迫ってくるとことか。これサメ映画で見たやつ!!悠々と海の中を泳ぐゴジラが新鮮でした。

主人公の乗る震電にアッサリつられてくれるあたりもやはり自然現象というより猛獣っぽさが勝っている…。

必殺放射線ビームで背びれが光りながら開いていくのは絶望へのカウントダウン感があり、上記のハリウッド的な描写とのマッチングが良いな!と思いました。


特攻から逃げ出して生き延びた敷島が主人公で、かなり生き汚いんですが神木くんパワーで汚さ軽減されてるのでは…と思ったり。

戦争で誰かが死んだとき、それは個人のせいではないけどそんな割り切れないのが人間。

ゴジラに仲間を皆殺しにされた整備士の橘や戦争で我が子を喪った隣のおばさんから「お前がちゃんと戦わなかったからみんな死んだんだ!」と責められる敷島が辛い。

それを罪に思い、自分は死ぬべきだったと思いながらも実際に死地を目の前にするとどうしても「生きよう」としてしまう。(そうして生き残ってまた罪の意識に苦悩するループ)

疑似的な家族を得てささやかながら幸せな生活を手に入れても戦争の悪夢に魘されて自分が本当は死んでいるのではないか(自分だけ生きていてはいけない、幸せになってはいけないという思考から)敷島が「自分の中でまだ戦争が終わっていないんだ」と吐き出すのが重かったです。


孤独な敷島と典子、戦争孤児のアキコという血のつながらない3人が成り行きで家族になり寄り添って生きていく内に絆が生まれる…のは良いんですが、

アキコが家族演出のための小道具感から抜け出てないような感じがしました。「ほら子供がおかあちゃんって呼んで泣いてるよ可哀そうだね」を煽る役みたいな。

敷島が希望を得たのも再度絶望に突き落とされるのも典子がキッカケで、最後に震電の脱出装置を使って生きる選択をしたのも残されたアキコのためというより敷島自身の持つ生き汚さからだと自分には感じ取れました。


人情ストーリー厚めなのでなかなか重かったです。

ただ上記のように人情ストーリーだけど妙に引っかかるというか伝えようとしてるとこと描写によって無意識に伝わってしまってるものの矛盾を感じることがありました。

戦争の残酷さを伝えようとしながら戦争にロマンを感じているような描写になっていたり。

ただ、それが自分は逆におもしろかったです。「物語を創る、楽しむ」業を感じるというか、なんというか。

(以下は特にその矛盾を強く感じていろいろ考えさせられました)

戦争から命からがら引き上げやっと立て直してきたのにそれをめちゃくちゃにする理不尽な怪物と戦わなきゃいけない、本来動くべき国はだんまりで支援などもほとんど無いから民間でやるしかない。

まさに「戦争」の理不尽さの再来なんですが、その一方で、「誰かの役に立ってる」「誰もやりたがらないけど自分はとても重要なことをしてる」として作戦に参加する男たちは生き生きとしてると言われています。

一応前提として第二次世界大戦の「戦争」は「負けるのがわかってて死ににいけと言われた戦争」で、ゴジラが表す「戦争」は「負けるのがまだ0%ではない、死はまだ決定していない戦い」だから違うんだろうけど

無意識化に戦争美化してることになってない?とふと疑問を感じました。

同時に、戦争に赴く(国の命令で行かされた)人たちはこうやって「自分は国のために、皆のために役に立つ重要なことをするんだ」と美化しないとやってられなくないか…?とハッともしました。

そしてその気持ちは戦争だけでなく、戦争から遠くなった現代人にも通じるものがあるよなと。


昔テレビ討論番組に特攻隊の生き残りの人が出て、もし日本で徴兵制度が施行されることになったら賛成するか反対するかという質問にその人は「賛成する」と答えてました。

討論の中で徴兵制が施行されれば自分の子供が戦争に行かされるかもしれないのにいいのか?と聞かれて「徴兵され戦争に行ったことが無意味だと思いたくない。死んだ同僚たちが無駄に死んだと思いたくない」と言っていたのがとても印象的でした。

自殺をする人はドラマチックな舞台演出(風光明媚な場所を選んだり)をして死の恐怖を紛らわせる、という話を思い出したり。


ゴジラって反戦とか反核のベースがある一方で、兵器かっこいー!とか戦術すっげー!みたいな戦いの物語はワクワクするっていうのも前提にあるよなと。

第二次世界大戦を物語の中心で扱いつつここまでエンタメに寄せてる作品って…そんな無いよな?

第二次世界大戦関連事実をドラマティックに仕上げた映画なら多数あるとは思うんですが、ここまで虚構を組み込んでエンタメとして大々的に扱ってるのはかなり新鮮で結構大胆なんじゃないかなーって思いました。

そして現実の第二次世界大戦を経て大人気シリーズの「ゴジラ」は生まれたことを考えると…。

戦争は過ちである、としながらそれらに魅せられている、ということにもなってるのかな…と観ながら思いました。

監督にはそういう意識無かったとかもしれないけど見てていろいろと考えさせられました。


戦闘シーンは何気に最初の、主人公たちが乗る木造船がゴジラに追いかけられるサメ映画構図のとこが良かった。

ゴジラに喰われる!→回収した機雷を口の中にブチ込もう!→うまいこと口の中入ったけど機雷の導火線切れてるオワタ!→主人公が機関銃で機雷撃って爆破成功ダー!

の流れ、めっちゃサメパニックやんってなるんだけど良い。定番の味だけど良い。

最後の決戦で瀕死のゴジラが討伐隊に放射線ビームを撃とうとする寸前、主人公が震電でゴジラの口の中に特攻!!!の場面も完全に「だよね~~~~!!」「よッ!待ってました!!」って感じだけどやはりアツかったです。

わかりきっててもアツい。

敷島が「生きる」選択をしたこと、整備士の橘が敷島の生きたい気持ちを脱出装置を教えることで認めて赦した表現になってるのも良かった。


最後、実は生きとったんか典子!からの感動の再会…からの典子の首筋に黒いシミが…?海に沈んだゴジラの心臓が再生してる…!というかなり不穏な感じで終わりました。

典子の首筋に浮かんだ黒いシミはゴジラファンの間では有名なG細胞の説が有力っぽいですね。えっ何ですかG細胞って…?

典子は最初のゴジラ東京襲来時に死んだけど、G細胞が取り付いて(襲来後のラジオ放送「ゴジラが通った後にはゴジラのものと思われる黒い肉片が散乱していて~」とあったし)ゴジラの超再生能力によって典子は生き延びたor生き返ったってかんじかな?


マイゴジのキャッチコピーが「生きて、抗え」なんですが、これ人間だけじゃなく今作のゴジラ自身にも適用されてるのかと思いました。

マイゴジが「戦争」イメージなら。

戦争には必ず「相手」がいて、「相手」は感情や意思を持っています。

人間vsゴジラであってもそれは同じで、敷島がどうしても死にたくないと思ってしまったり、典子が何があっても死ぬのだけはダメだ生きることを最優先にするべきと考えていたりするように、

ゴジラも最後人間に死の間際まで追いつめられて「生きねば!!」となってるのかもなーと。(からの心臓から超再生描写)(ヤメテー)

ゴジラのその感情?本能?と典子の「死ぬのは絶対ダメ」(両親が炎に焼かれながら逃がした典子に「生きろ」と言ったことから典子は生きるのを最優先の目的にしている)(これもある種のトラウマですね)がビックリSF合体を起こした結果典子はG細胞と融合して復活したのかなと。だから典子とゴジラは今リンクしているのかも…?とも思いました。

敷島、もしかしたらまだまだ「戦争」は続いているのかもよ…(曇らせ)


長くなっちゃった。

敷島役の神木隆之介くんすごかったな~。追いつめられた人の演技上手い。

印象に残ったのは典子の葬儀で絶望から笑ってしまう敷島のシーン。哄笑とかじゃなくて「フッ…フフ…ッ」って全然笑えないけど笑うしかない感じが出てておお…となりました。


ストーリーの湿度が重めなのでシンゴジみたいに何回も見ようとはなりにくいけどおもしろかったです!時間置いたらまた見てみたい。

0コメント

  • 1000 / 1000