【感想】すずめの戸締まり


見てきました!
以下ネタバレ感想です。
※映画と小説のネタバレ両方含みます。





◆ストーリー
宮崎に住むJK・鈴芽が、ミミズと呼ばれる災いが出てくる扉を閉じる「閉じ師」のイケメン・草太と出会うことから始まる青春冒険譚の面と、
震災という災害により傷付いた心と対面する救済の物語の面があります。
まとまってるしわかりやすい!と感じました。
テーマというか話の基礎にあるものが「震災(一番重要なところは3.11の東北大震災)」なのでかなり慎重に作っているなぁと。
余計な情報を入れない、引っ掛かりを少なくする、明言を避けることはあっても大体の視聴者の想像や疑問が散り散りにならないように上手く表現や情報をコントロールしてると思います。

君の名は。や天気の子は一種の乱暴さ、鋭さみたいなのがあったと感じてて、刺さる!という表現が合うんだけど、すずめの戸締まりはまず扱ってるもの的に「刺さってはいけない」というか刺さることを目的にしてはいけないみたいなのがあるので、そこの差を自分は随所に、そして如実に感じました。
重いテーマを慎重に丁寧に扱いつつ、コミカルだったりガチなアクションだったりが盛り込まれてて笑えるしワクワクしました。
監督も明るく楽しい映画を目指したみたいで、震災がテーマなんだからまじめにしなきゃ…!とか感じさせないのが良いなと思います。
(映画というものにも災害というテーマにも真摯にならなきゃいけないからやはりこういうのは難しいなと改めて感じますね。)

扉を閉じる(ミミズを封じる)時の「お返し申す!」「お返しします!」とか祝詞とか、ファンタジーアニメの封印シーン定番だけどめっちゃかっこいいやつだし、
椅子になった草太と猫のダイジンがチェイスをするところとかは絵面は完全にギャグなのにマジアクションで最高!

椅子だけど人間の草太だったらこう動いてるのかも、と想像できるくらいに椅子のアクションがすごい。
序盤15分くらいでイケメンは椅子になるけど声から溢れるイケメンによりツイッターには「イケボ椅子」という言葉が発生していた。
アクションはイケメンでやってたらすっげぇイケメンだな…なんだろうけど椅子がイケメンアクションすることでしか得られない出汁があるんだなと初めて知りました。すごい。

最後のオチ、鈴芽を救ったのは他の誰でもない鈴芽自身だったことも定番だけど、この話の基盤を考えるとすごく納得する。 

「わたしは鈴芽の、明日!」

どんなに辛いことがあっても時間は流れていくし、明日、明後日、その次日、一年後、何十年後、「ずっと同じではいられない」っていうのは残酷だけどそれが希望と解釈されてるのがとても好き。
全ての時間が同時空に存在する常世だからこそできた、という君の名は。の時みたいなギミック設定回収がされててそれも良かった。

小説版を読んで、再会した草太に「おかえりなさい」と言う鈴芽の真意が初めてわかりました。
「いってきます」で途切れてしまったあの日の皆が言えなかった「おかえりなさい」なんだな。
映画だと明るいし小説でも鈴芽があの日の戸締まりをして前に進めたことの象徴としてのセリフなんだなと分かるんですが、そういう意味が含まれていたのだなと思うと本当にそれは重くて、重くならないような演出にはなってるけど少し複雑な気持ちになりました。


◆キャラクター
全方向に配慮されてる。
言い方おかしいのかもしれないけど、本当に、なんだろう…ここ最近では珍しいくらい「引っかかる」、段差のようなキャラクターがいない。
個人的な見解ですがキャラクターの言動でストーリーの足を引っ張らないよう調整されて造形されてる…?とか思いました。

草太の友人の芹澤は途中から出てくるかなりご都合キャラっぽいのに、それを見てる側に感じさせないキャラの立たせ方と言動の紐付け方が上手い!
最終的に芹澤に沼る人が続出するのも納得する。

鈴芽の「死ぬのは怖くない」は「(震災で生き残って)生きるか死ぬかはただの運」という考えであったり、東京に一等大きなミミズが落ちそうになった時に要石になってしまった草太を刺したのは「みんなを助けたいから」ではなく「震災を体験した自分はミミズが落ちたらどうなるかわかるから、それを見たら『自分が』耐えられないから」というのが生々しい傷を目の当たりにしたようで、胸が痛くなりました。

草太の背景や心情はあまり語られていないけど、草太の祖父が片腕を失っていたりする描写や恐らく両親がいないだろうことから閉じ師はとても重要な役目であるけど危険な役目でもあることが伺える。
芹澤が草太のことを「自分を大事にしない」と言っていたし、草太が要石になったことへの祖父の反応とか見るに「閉じ師である以上いつ死んでもそれは仕方ないこととして受け入れるべし」みたいな感じだったんじゃないかなと推測。
教師になる夢はあっても大切な役目だから家業は続ける、続ける以上はいつ死んでもおかしくない、だから今回の事件で試験に出られなくて4年間の努力が水の泡になっても「仕方ないことだから」で誰にも何も責めないというか何も言わない。絶望してるわけじゃないけどどこかで最初から諦めてるんだなぁと思う。

そんな風に、心の奥底で傷付いてたり諦めたりしててどこか空虚な2人が出会って旅して魂の化学反応を起こすのがすごく良かったです。
草太が要石になる直前の「君に会えたからそれでいい」で終わりそうになったところを、鈴芽の「死ぬのは怖くない。草太さんがいない世界が怖い」によって、「君に会えたのに!死にたくない!生きたい!」に変化するのが、観ててジーーーンとしちゃう🥲それに呼応して鈴芽も「私も死にたくないよ!」となるのも。

主題歌の歌詞「あなたと見る絶望は あなた無しの希望など霞むほど輝くから」が解釈優勝すぎる。

ダイジンの人外ムーブによるミスリード的なのも話のスパイスになっていました。
鈴芽が引き抜いたことにより要石というお役目から解放されたダイジン。
閉じ師という役目がある草太と似た存在だなと思います。(追記:舞台挨拶のインタビューで監督が、ダイジンには詳細設定は無いけど書いてる時は幼い閉じ師が要石になったこともあるかもというのを想像した、と語られたらしいのでやっぱり人柱の側面もあるんやな…)
ダイジンは「何十年もかけて神になった」要石なので神性面が強く、役目から解放してくれて餌をくれて「ウチの子になる?」と聞いてくれた鈴芽のことは優しいから好きで一緒にいたい!それ以外の人間は知らん。というのが神様〜〜〜!って感じで良かった。
無邪気、というか、そもそも感情が無いんだよね神だから。ミミズと同じ。
東京ミミズが落ちる時も「ひとがたくさんしぬよ」とか「要石(草太)をささないの?」とか「いよいよだねぇ!」とかめちゃくちゃ邪悪に煽りよる!って感じだけど、事実を述べただけだし大好きで一緒にいたい鈴芽以外の人間が何人しのうが関係ないという神様あるあるなだけという。
それを受けた人間はその無理解さと理不尽さに怒るし悲しむ。人間と神の交わらなさが表現されてるなーと思いました。
でも、鈴芽の感情にだけは揺さぶられるからこそ、最後に草太に移した要石の役割を再度自分が引き受けてお役目に戻るのが、哀しくて、やっぱり神様なんだなと思わされる。
草太と想いを交わした鈴芽の生きたい死にたくないという願いを叶え、祈りを聞き届けたんだよなぁ…。

鈴芽の「ウチの子になる?」でガリガリからふっくら、「大嫌い!」でまたガリガリになり、「ありがとう」でまたふっくらツヤツヤになるのがねー…そういうことなんだよね……。

鈴芽の叔母・環さんと鈴芽の関係描写は重くて複雑そうだけど短くサクッとまとめてメインテーマを邪魔しない感じに、だけど説明不足になりすぎない程度の描写にまとめてるのが上手い!!
喧嘩で環さんが胸に秘めていた生々しいマイナス感情を吐き出すところ、サダイジンにより陰の気がブーストされたからと解釈してます。
※ダイジンがいると店に客が集まって繁盛するという描写が2度ほどあったので、ダイジンは陽の気、サダイジンは陰の気をブーストするのかもなぁと。カラーリングも白黒だし、目の縁は陰陽印の勾玉の穴をモチーフにしてるのでは?と思ってます。

「あんたのせいで人生台無し!私の人生返してよ!」「お姉ちゃんのお金があったって割に合わない」ってのが、まーーー、うん、、一度は思うけど口にしたら絶対アカンやつとちゃんとわかってるので黙ってる本音、リアルだなぁ…。
鈴芽がショックを受けつつもおかしいと気付くのがこの2人がちゃんと信頼関係築いてる証なんだろうな。
その後の「口に出したことは本当だけど、それだけじゃないよ」で和解できるのも含めて12年の2人の関係の厚さがちゃんとわかるのが良い。
そしてこれによりサダイジンの陰気ブーストもファインプレーになるという。


◆演出
前2作はRADのMVとまで揶揄されるほど挿入歌挟んでいましたが今作はEDのみ使用。
主題歌に解釈がギュッと詰まってるので良いなぁと思います。
インパクトとしては「すずめ」の方があるかな。タイトルのとこで流れる音楽です。神秘的な民謡風の曲で私の好きなやつー!ってなりました😂
あと、ダイジンと椅子草太の最初のチェイスで流れるのがジャズなのが、定番だけど好き。ルパン三世よね。
芹澤がシチュと相手に合わせて懐メロを流すのが、レトロを愛する気遣い現代っ子キャラらしくていいのと、「家族向けにもしたい」監督の意図も含まれてるのかなーなどと考えてたりしました。


◆全体的なテーマについて
3.11を下地にしている、というだけで緊張が走る。
10年前はストレートにその悲惨さに、今は被災者とその他の温度差に。
この話題を直接扱っただけで注目が集まる故に禁じ手に近いとこがありますよね。
3.11については教科書の出来事になってる世代も多くなってきているというのを特典本で見て、そうだよなぁと、当たり前なんだけど忘れていたと実感。
私も3.11は学生時代の記憶としてあるけど阪神淡路大震災は物心つくか否かの時のことで実感はほぼ無いんですよね。
災害の記憶もこうやって上塗りされていく。
でも被災者にとっては上塗りなんてされない。
忘れないことが重要です!と言うけど、やっぱり忘れないのは実際に被災した人たちだけで、その人達も自分達が被災したことは忘れないけど他の災害についてはやはり記憶は風化していくんですよね。
時間って残酷だ。自然って冷酷だ。
そこを責めるのではなく、憐れむのでもなく、傷を見せびらかすでもなく、事実としてそういうことがありどう感じたか思い出させる、そしてあったことを悼む作りになってるなと感じました。

丁寧に、慎重に、エンタメとして消費しないように、同情を煽らないように、救いを押し付けないように、あなたにはわからないよと突き放さないように表現されてるなと思うのは私が関東住みで直接被災はしなかった人間だからなのか?

3.11についてはどうしても「自分語り」になってしまう。
というか現実の災害とか戦争とか、個人の力ではどうにもならんことだと多くの人が見るという前提の普遍テーマに落とすには悲しいという感情に訴えるとか過去の過ちを繰り返さぬようにっていう教訓めいたものにするのが手っ取り早い。
「こういうことがありました、悲しいね酷いね苦しいね、だから二度とこんなことが起きないようにしないとね。」的な。
そういうのを避けつつ、「明るく楽しい映画」を目指して作られてるのが感じられて個人的には素敵だなと思ってます。



長々と書いてしまった。
多分人によって大きく振れ幅が出るのだろうなと思いつつ、個人的にはまた劇場で見たいな、と思う映画でした!

萌えとしては草太と鈴芽…今後どうにかなって欲しいなという……よこしま〜〜〜!!!☺️☝️
でも草すずって草太がめちゃくちゃ良識のある大学生、JKには手を出さない男だと隙なく思わせる造形だからこそ萌えるという矛盾を孕んでる。
どうにかなってほしいけどそのままでいてくれよな…とりあえずお互い大切な人であってくれ。

芹澤の沼にダイブした先人達の「芹澤と…草太の…大学生活スピンオフを…」といううめき声がそこかしこから聞こえてくるのおもしろい。
正直これまで監督の作風や女キャラ観について合わない無理気持ち悪いノットフォーミーとめちゃくちゃに叩いておいて今回の芹澤で手のひら返したというかウエメセでクレクレしてる方々も結構見かけるのでちょっと内心白い目で見てしまうとこがあるんですが、でも芹澤なら仕方ないな…みたいに思ってる。言い続ければ監督も芹澤というか神木くん見たさでなんか新規でお出ししてくれるかもしれんしね…うん……。


以上です!

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